「テイワズ・オスカリウス」
呼ばれた名前に振り返った。 今日は社交界デビュー(デビュタント)の日で、名を呼ばれた金髪のドレスを着た女性は、今まさに今から婚約者であるこの男と踊るところだったのだ。 テイワズ・オスカリウス。 侯爵家の子女の十六歳。長い金髪と青い目が、シャンデリアの光で輝いた。 豪奢で華やかな王宮の広間。 賑やかなその場で、見知った声の異変を感じ、伸ばそうとした手を止める。 名前が聞こえて反応した家族の視線を感じた。が、それよりはこの目の前にいる婚約者の硬い面持ちの方が気になる。 婚約者のダグは彼女と──テイワズと同じ金髪碧眼の男だった。 今日のテイワズのドレスは、彼が青い服を纏うと聞いていたから、それに合わせた淡い青のドレスを選んだ。 なのに彼は、緑を基調とした正装をしてた。 (おかしい) 並べば一枚の絵画のようだと讃えられるほどお似合いだった婚約者だった。手の届く距離にいる。 なのに。 もうお互い違う額装の中にいるような違和感を、テイワズは感じた。 「ダグ……?」 「気安く呼ばないでくれ」 同じ色の青い目を信じて名を呼べば、ピシャリと冷たく放たれた。ダグは一歩引いて、目の前のテイワズを見つめた。 そして、高らかに、告げた。 「婚約を破棄にしよう、オスカリウス家のテイワズ嬢。僕ときみは、もう婚約者ではない」 周りがざわついた。 どうしよう、足元がふらつく。 立場を揺らがす出来事だった。 (……信じたくない) それでもテイワズが立てるのは、今日のために装い仕立てたドレスのおがげであり、なにより女として強靭に鍛えた矜持のおかげだった。 「他に愛する人ができたんだ」 泣くな、と拳を握る。 拳に爪が食い込む。泣かないように、心の痛みを誤魔化す。 ──泣いたら。 「はっ! テメェは俺様の妹に相応しくねぇよ」 ──泣いたら、大騒ぎになってしまう。 後ろから硬い体に引き寄せられた。 背中に正装の上からでもわかる硬い胸板があたって、目の端に銀色の光が輝いた。金髪のテイワズを抱き寄せる銀髪は、赤い目の持ち主。 犬歯を見せて敵意を露わに細い肩を抱き寄せた、彼女の兄。 「ヘルフィお兄様」 肩を抱き寄せた兄の手の力の強さに、大事になってしまったな、とテイワズは思う。 ああやっぱり──。 「こっちから願い下げだぜ」 ──お兄様たちが、黙ってない。 「その通りですね」 肩を抱くヘルフィの熱い手を振り払って、いっそう落ち着いた深い声が降ってすぐ、テイワズの腰を抱き寄せた。 「ロタお兄様」 テイワズが顔を上げて名前を呼ぶと、黒髪の間の眼鏡の奥で、青い瞳を細めた。 「兄さん、ティーの肩にはもっと優しく触れてくださいよ」 「あっ! こら、テメェ!」 「ティー、大丈夫ですか? ……こんな無礼な男、もう気にすることはありませんよ」 銀髪のヘルフィと、黒髪のロタのやりとりを、剣呑とした声が裂く。 「ほらあ、やめなってば、周りが見てるよお」 後ろから現れた、揺れる若木色の茶髪。 蜂蜜と同じ金色の目をした彼女の兄の名は、ルフトクス。 「とはいえ、兄さんたちの言う通りだねぇ……こんな無礼で非礼で欠礼した男なんてー……」 チラリとその金色の目に、元婚約者となったダグを映した。 「うん、死刑だねえ」 「こら! ルフ兄様! こんなところでそんな物騒な言葉を言ってはいけませんよ!」 言い諌めらように現れて、その実全然納められてない声の持ち主は、紫色の髪の毛。 「ええ~? フォルはそう思わないの?」 紫色の髪の毛の青年が頷いた。 「まあ思いますけどね」 それから赤い目を細めて、言った。 「安心してください、ティー」 甘い笑顔で。 「あなたに血生臭いところは見せません……ちゃんと僕たちが見えないところで殺しますので」 にっこり笑ったフォルの笑顔に、元婚約者と同じ引きつった表情をしてしまう。 (フォルお兄様の目が笑ってないにっこり……) 丁寧な言葉と貼り付けたような笑顔に、末の兄の本気の怒りを感じた。 テイワズはダグ(元婚約者)の様子を伺う。 四人の兄たちの視線を浴びて、顔を青く、それでも歯を食いしばって耐えていた。 貴族であるオスカリウス家が誇る、五人の兄。 その兄のうち、四人が勢揃いして──たった一人を見つめている。 それは、たった一人の妹に不名誉と屈辱を与えた男に。 「さ、さっきっから不敬だぞ! 婚約者の兄だからと我慢してたが……うちは公爵家なんだぞ!」 視線を浴びたダグ──さっきまで婚約者だった男──は、足の震えを隠せない。ダグはそれでも必死に、青い目を釣り上げた。 それを嘲笑うように、銀髪をシャンデリアに光らせて、敵意を隠さず長男のヘルフィが犬歯を見せた。 「はっ! 不敬なのはどっちだ!」 「──どっちなのでしょうね」 それは華やかだが棘だらけの空間に、突然現れた声だった。 「姫、様……!?」 姫様だわ。と、周囲から聞こえた声がテイワズの疑念を確信に変えた。 「この国の王女、ニコラ様よ……」 振り向けばそこには、薄桃色の長い髪を華やかにまとめた誰より華やかで美しい女性。 紫色の瞳の、この国の唯一の姫。 吹き抜けの二階部分から繋がる階段をゆっくりと、光のように降りてきて、同じ高さに立った。 唖然とする周囲に、召使が尊大に声高に言う。 「頭を垂れよ!」 「よいのです。わたくしが彼らと喋りたいのですから」 姫様が言うのであれば、と召使が一歩引いた。 (なんで、お姫様が) 姫はそのまま、テイワズの目の前。そしてダグの横に立った。 「あなたがダグ様の元婚約者ね」 「ええ、たった今から元になりましたね」 美しい声に反応したのはロタだった。 眼鏡を押し上げて、冷たい顔と声で答えた。 そんなロタを長兄のヘルフィが小突く。 「おい、ロタ」 「お兄様方」 末の妹のテイワズが小声で言えば、銀髪と黒髪の二人は黙った。 紫色の目と目が合ったのは一瞬。 まさか。婚約者は姫様? そう周りがさざめく。 (私が一番聞きたい) けれど今は、口が開けないし、目が離せない。 (なんで姫様が) その人物は── 「ごめんなさい」 この場の人物の予想を裏切って、頭を下げた。隣にいるダグがなによりもその行動に目を丸くした。 「ニコラ!?」 (名前で呼ぶ間柄なの!?) 唾を飲みこんだテイワズに、姫は目を伏せる。 「ごめんなさい。わたくしが、彼を愛してしまったから……」 「ああ、すまない……ぼくが……」 桃色の髪の姫様と、金髪の元婚約者。姫様とダグが互いの腰を支え合って顔を寄せ合った。 その様子を待て、茶髪のルフトクスが忌々しいとばかりに目を細めた。 「ちょっとやめてよねえ、こっちが悪者みたいじゃん。こんな場で、こんな──」 「悪者になってやるよ」 鼻を鳴らしたのは、ヘルフィだった。 「謝罪なんていらねぇ、むしろ礼を言ってやるよ」 赤い目を細めて、寄り添う二人を威嚇するように言う。 「てめぇは俺様の妹にふさわしくねぇ。返してくれてありがとよ!」 隣のロタも、優しそうな顔を冷たく歪めた。不快感を隠さずそのままに言った。 「俺様の? ヘルフィ。俺様達、の間違いでしょう?」 「うっせぇなあ」 「ロタ兄さんの言う通りだよ、ヘルフィ兄さん。……ティーはおれの可愛い妹だもんねぇ」 「ルフ兄様! ティーは僕の妹でもあるんですからね!」 (フォルお兄様まで!) 四人の兄が今度は互いに睨み合うので、さすがのテイワズも呆気に取られてばかりではいられない。 「えっと……お兄様方……」 「……と、言うわけで自分たちは帰りますよ」 黒髪のロタがテイワズの腰を引き寄せた。 「元より妹の社交界デビューを見守りに来ただけですので……雑事に興味はありません」 銀髪のヘルフィが鼻を鳴らす。 「じゃあな! もう二度と俺様の妹に会うんじゃねーぞ……まあ、そんなことあるわけないがな」 それから茶髪のルフトクスが目を細める。 「そうだよー、姫様と仲良くねえ」 最後に笑ったのは、紫髪のフォルティだった。 「では、失礼いたしました」 テイワズは四人の兄達に背中を押されて、大きな背丈に護られるように。後ろを振り返ってもなにも見えないそのままに、城の広間を後にした。 * オスカリウス家の五人の男子。 (私のお兄様たちは) 剣に次いで魔術も優れた、侯爵家の子息。 研ぎ澄ますべきは剣と魔のこの国の名は、ムスペイル。 魔力においては三大要素があり、それぞれ適性がある素養を見つけ魔術を使うことができる。 物心がつき会話できるようになる頃に発覚するそれは、主に血を重んじる貴族階級のものだった。 剣術と魔術が求められるこの国で、公爵家として名高いオスカリウス家にはどちらにも秀でた五人の子息たちがいる。 長男、ヘルフィ。二十二歳。 月と同じ銀髪に赤い目。優れた剣士であり、火の魔力を持つ。 今は侯爵である父の後継候補として見習いをしているから大分性格的には牙が丸くなったと思われている、が── 「クソが! ダグの野郎許せねぇ」 そう言った口元には尖った犬歯がよく見えた。 「名前を言うのも憚られます。あの野郎、でいいのではないですか、兄さん」 二男。ロタ。二十歳。 夜空に似た黒髪に昼空の青い目。眼鏡をくいと上げていつも慇懃な言葉遣いをしている。 魔力は水。 長男であるヘルフィと同じ後継候補……今は補佐をしている。ヘルフィのブレーキ役にとその役目をしているが、実は誰より喧嘩っ早いので適役なのかはわからない。 「ちょっとお、兄さんたちってばさっきっから口汚いなあ」 そう言ったのは、若木と同じ茶髪に金色の目。 四男、ルフトクス。十八歳。 (ルフお兄様) 大地の魔力を持つ、マイペースな男。 剣の腕は上の兄ほどではないが、学園では随一。しかし体を使うことが好きではないようで、本人は魔術の方が向いていると言う。 『おれはおれのすべてでおれの好きなようにするの~』 教師に剣術の授業をサボったのが見つかり、謝ることもなくそう軽々と言ってからはサボってもお咎めを受けていない。それだけ魔術の腕が優れているのか、呆れられているのかはわからない。 「そうですよ、僕だって殺してやりたいって一言を我慢してるんですからね!」 宝石のような紫の髪に赤い目。魔力は長男と同じ火。 五男、フォルティ。フォルお兄様。十七歳。 魔術の成績がずば抜けており、飛び級してルフトクスと同じ最上級生になっている。 誰より真面目で勤勉。ただ、それ故に癖のあるお兄様方に振り回されている。 「……だいたい、あいつは何してんだよ! あ、い、つ、は!?」 ヘルフィが拳で机を叩いた。ロタが眼鏡をくいと持ち上げてそれを咎める。 「せっかくの紅茶が溢れます、兄さん」 「クソ! 紅茶なんか落ち着いて飲んでられっか! むしゃくしゃする!」 「ヘルフィ兄さんはうるさいねえ、ティー?」 「本当ですよ! 一息つきたいですよね? ティー?」 テイワズは、茶髪のルフトクスと、赤髪のフォルティの真ん中に座らせられている。 「え、ええっと……お兄様方……」 「なんでてめぇらがティーの横座ってんだよー!」 「あなたがうるさいからでしょう、ヘルフィ兄さん」 「あ!? 文句言って当然だろ! なんであいつはデビュタントにも顔を出さねーんだよ」 言われたヘルフィが睨むが、ロタは涼しい顔で紅茶を啜る。 (エイルお兄様のことね) ヘルフィが言っているのは、ここにはいないもう一人の──三番目の兄のことだった。 四人の兄たちと一人の妹。 五人の空間に、ノックの音が飛び込んできた。 あわや話題の人物かと期待はしたが、そんなことはないと皆腹の底でわかっていた。 扉が開く。 「ああ、おかえり! 可愛い子供達! ……大変だったな、テイワズ!」 「お父様!」 親父、父様、父さん、お父様、と。口々の呼び名で呟いて立ち上がった。 現れたのは、オスカリウス家の現当主である、五人の──もとい、六人の父親だった。 灰髪の父親はこの空間では唯一の金髪の娘を抱きしめた。 「あの婚姻を受けた儂が間違っていた──すまない、すまなかった、ティー」 「いいんです、お父様」 もう終わったことだから。 テイワズは気丈に答える。 「お兄様方がいてくれましたから」 そう。足元が崩れ落ちると錯覚したあの場所で、立っていられたのは──帰ってこられたのは兄たちがいたからだ。 「元より強引に勧められた婚姻でな……向こうがティーを守りたいという意志も強そうで許したが……まさか……」 「…………もう、終わったことです」 目を伏せて、言葉をひとつ落とす。落ちた水は戻らない。過ぎた過去には戻れない。 婚約が決まったのは昨年。 魔力がないテイワズは、貴族御用達である魔術学園にも行っておらず、勉学は家庭教師を招いていた。 周りとの繋がりも多く持てぬまま十六歳を迎えたテイワズを守りたいと申し出てきたのが、ブランドス家。 ダグの父親が「公爵家であるうちの息子ならお宅のお嬢さんを守るに足るでしょう」──そう言ったからだった。 (女だから家督の後継でもない。ありがたいとは思った、けれど) 何より運命を人任せにしてしまった自分に、後悔があった。自分の素養の無さに悔恨があった。 「……もとより私に、魔力がないからで」 「けど、それをわかって婚約を申し込んできたはずですよ?」 テイワズの言葉を、紫髪のフォルティが引き継いだ。 テイワズだって帰りの馬車でそれを思わなかったわけがない。でも。 (愛を盾にされてしまった。──新しい愛を見つけたと言われてしまった) だからもう、婚約破棄はどうしようもないのだとわかってしまった。 * (もしも魔力があったら違ったのかしら) テイワズには魔力がない。 と言っても魔力がない人間が珍しいわけではない。平民はほとんど魔力がない人間で、兄たちが通った魔術学園に通うこともない。 だから珍しい人種ではない。 ただ──貴族、特権階級ではそんな人間はほとんどいない。 それは貴族の得る税は、その要素がもたらす魔力による恵みを対価に得られるものだからだ。 雪が積もれば炎で溶かし、荒れた草を燃やし道を切り開くのが火の魔力を持つ領主。 川が荒れれば水の魔力を持つ領主が出向き氾濫を抑える。 枯れた大地であれば大地の魔力を持つ領主が触れて蘇らせ、恵を与える。 その三大要素の福音を民たちに与え治め納められる。そうやって貴族と庶民は与え合う関係。 しかし魔術といえどそれは人の力によるもので、万能ではない。使えば疲れるのは当たり前だし、魔術の規模、限度は個人差が多いものだった。 それでも互いに領主と民は支え合いながら栄え、発展してきたのがこのムスペルという国だ。 しかし昨今は天候の不順により、貴族への不満が漏れつつあった。それ故に貴族でありながら魔力がないその体質は領民から期待外れだと冷ややかに思われていた。 「ティーを生涯かけて守るっていうから許したのに、ねえ……」 ルフトクスが呟いた。 魔術に秀でた五人の子息がいるオスカリウス家は有力な家族として噂されていた。 (公爵家と繋がりを持つことで役に立てると思ってたのに……) ブランドス家は王家とも繋がりがあるとされている大きな家柄だった。だからこそ、テイワズは魔力がなくともこれで役に立てると思ったのだ。 だからブランドス家《元婚約者の家》が婚約を申し出てきたのは、家の将来性を見込んだものだとテイワズは思っていた。 (愛ではなかった、と思う) それでも何度も共に出かけ、食事を共にし、これから時間と共に仲が深まる──と思っていたのに。 向いに座る白と黒の兄二人も答えず、父も悲しそうに眉尻を下げた。悲しそうな空間は似合わない。誰より優しい家族たちに──こんな顔をさせていたくない。 テイワズは暗い考えを振り払う。 「こんなに優しいお兄様方がいて、私、幸せです。だから、いいんです」 もうそれだけで充分なんです。 心から言えば父は目頭を抑えて、テイワズの肩に手を置いた。 「こんなに思いやりのある家族になるとは……お前と血の繋がりがあるのは一人だけなのになあ……」 「は?」 「はい?」 「え?」 「はい?」 待って。 今初めて父の言葉が理解できなかった。 テイワズは聞き返す。 「…………お父様、今なんと?」 「ああ、お前と血の繋がりがあるのは兄のうち一人だけで、他の兄らは義理の縁だがまるで本当の家族のようで感動…………ん、んんっ」 突然父は言った言葉に気がついたようで視線を外して大きく咳払いをした。 「おい、親父、今……」 「今なんと言いましたか……?」 「もう一回言ってー?」 「もう一度お願いします、お父様……」 固まるテイワズと、椅子から立ち上がって問いただす兄たちに、父親は後退りをする。 「いや、その……ティーが嫁いだら五人揃った時にでも話そうと思って言葉を準備しておいてたんだが」 父親は目を逸らししどろもどろに言いながら、一歩、また一歩と後ろに引く。 「ティーが嫁いでも、六人の子どもたちはオスカリウスの家族だと……一族の縁は堅いと……な……は、は、ははは……」 固まったままのテイワズとは対照的に、四人の兄たちは父親ににじり寄る。──真実を聞こうと。 「おい、どういうことだ、親父……」 長男、ヘルフィ。 「自分たちは異母兄弟だと聞いていましたが……」 次男、ロタ。 「そうそう、みんな血の繋がりのある兄弟だって……」 四男、ルフトクス。 「僕たちはティーの本当の兄ではないのですか!?」 五男、フォルティ。 「いや、みんなティーの大事な兄だ。ここまでずっと暮らしてきた、儂らは家族だ。ただ──」 にじりやられてとうとう、父親の背中が扉についた。四人の青年に囲まれて、中年らしく額に脂汗を浮かせる。 「ティーと血の繋がりがあるのは、一人だけで……」 聞こえる言葉が、ショックだった。 血の繋がりがあるのは、五人の兄のうち、一人だけ。 (家族じゃないってこと?) 四人の兄達は、血縁関係のない関係。 四人の兄達は、血縁関係のない関係。 「おい。それは誰だよ、答えろよ……」 「そうですよ、言ってください……」 「父さんさあ、なんでそんなこと黙ってたかなあ?」 「答えてもらいましょうか」 兄たちは父親から聞き出そうとしている。 (やめて) 聞きたくない。 大衆の面前で婚約破棄なんてくらった今日。 ……これ以上、ショックを上乗せさせたくない。 家族じゃなかった、なんて。今知りたくなかった。 なんで兄たちが秘密を暴こうとしているのか、テイワズにはわからなかった。 なんで。 (なんで家族じゃない証明を、聞こうとしているの) 「おい、言えよ、親父」 赤い目を鋭く光らせて、ヘルフィが言った。 「す、すまなかったああああ!」 「あっ! こら、待ちやがれ!」 扉を開いて逃げ出した父親を、白銀を光らせてヘルフィが追いかけて、二人が室内から出ていった。 残された部屋の中で、テイワズは「嘘でしょ」と呟く。 ロタが神妙な面持ちで唸った。 「思わぬ事実が出てきましたね」 「まさかねえ、おれたち五人のうち……」 ルフトクスが相槌を打ち、フォルティが顎に手を当てた。 「四人が兄弟じゃないとは……」 (私ともう一人が養子なの? それとも、他の四人が養子なの?) 皆が同じことを考えていた。 魔力の恵みが権力を左右するこの社会において、貴族階級における養子縁組というのは珍しいことではない。 魔術の要素が貴族の支持にも関わる。そんな社会で、一族で三つの要素を手中に収め、その地を治めるのはむしろ賢い経営戦略だとも言えた。 だからこそ側室や愛人というのも多少鼻つままれはすれ、子さえできてしまえば勝ちなところはあって。だからこそ──異母兄弟で五人の男子と一人の女子というのは珍しい家族構成ではないし、魔術の要素をすべて揃えているという点では成功でさえもあった。 (もちろん私にも魔力があるべきなのが最高なのだけど) そうではなかった。 とはいえ。 物心ついた時には五人の兄とこの屋敷に住んでいた。 五人の兄たちもそれぞれ母がいるが、一夫多妻という複雑な関係性のため離れて暮らしている。 父親と子供たち、それとメイドだけが教育のため共に暮らしている。 いきなり兄じゃないかもしれないなんて言われて、動揺しないわけがなかった。 血の繋がりがなくとも家族だと大声で言える。たとえそれが誰であっても。 秘密を暴かないでほしいとさえ思う。 それなのにこの── 「クッソ、親父に逃げられた……馬乗って逃げやがった……」 「おかえりなさい。ヘルフィ、お父様のそういうところは、|エイル《三男》にそっくりですね」 兄たちは、今、秘密を暴こうとしている。 「父さんとエイルがそっくりなら、エイルとティーが実の兄妹ってことにならないかなー?」 「そもそも父が誰と同じなのかすら判別がつきませんからね……」 ルフトクスの言葉に、ロタが淡々と返した。 「っていうかエイルの野郎はこんな日にもまじで帰ってこねぇのかよ」 白銀の髪の乱れと息切れを整えて、ヘルフィが舌打ちをする。 「どこにいるのかすらわからないもんねぇ」 ルフトクスが首を傾げて、フォルティが考えるように腕を組んだ。 「しかし、ティーと血が繋がっているのは僕たちのうち誰なんでしょうか」 本当ですね、とロタが頷いて。それから眼鏡をくいと押し込んだ。 「血の繋がりがなければ、結婚してもいいはずですからね」 ……え? 呆気に取られるテイワズの前で、彼女がいることすらも忘れたように四人の兄達は言葉を交わし合う。 ルフトクスの口元は笑っていた。 「そうそう、もしかしたら「ティー。今日も図書館行くのー?」 ふわ、とあくびをしたルフトクスに釣られそうだった。うん、と頷くとロタが眼鏡を押し上げた。「図書館ですか。いいですね」「僕も行きましょうか?」 フォルティがテイワズに聞くと「あー、抜け駆けー」とルフトクスが指差して、下の兄二人の会話が始まる。 それを横目にロタがテイワズに紅茶のおかわりを淹れる。「図書館であれば女性一人でも安心ですしね、変な輩もいないしいいでしょう」 そうですね、とテイワズが頷いたところで、眠そうな顔をしたヘルフィが入ってきた。「おー……」 後ろ手で髪をかくヘルフィに四人はそれぞれ朝の挨拶をする。「ヘルフィ、早く支度してください」 ロタが紅茶を渡して言うと、おう、と返事を一つ。それから砂糖を入れながらテイワズに言った。「あんま出かけんじゃねぇぞ」「え? なにー、兄さんったら過保護ー」 からかったのはルフトクスだ。「一体どうしちゃったのー? 急にそんなこと言うなんて」「……別に急でもねぇだろ」 うっせぇなあ、と言わんばかりの顔に、はいはいとルフトクスが流した。 誰も飲めないほど甘ったるい紅茶を飲むヘルフィにテイワズは笑いかける。「大丈夫ですよ。図書館には親切な方しかいませんから」 今日、赤い髪の男性に会ったらお礼を言おう。 そう決めて、兄たちを見送って、テイワズは昨日借りた本を持って図書館に向かった。「やあ。昨日の本はどうだった?」 かけられた声に驚いて、危うく本を落としそうになった。「昨日の」 赤髪の男性だった。紫色の瞳を人が良さそうに細めて、相変わらず控えめだが質の良さそうな服を着ている。「ありがとうございました。おっしゃる通りでした」 テイワズは微笑みながら答える。「ああよかった」 丁寧な物腰と言葉遣いに、ある程度立場のある人なんだろうな、とテイワズは推測する。「珍しいね。魔術の古にまつわる本を読むなんて──外に出てみるものだ。同じ物好きに会えるなんてね」 物好きなんてひとまとめにされた。 言葉に引っかかるものがあるとはいえ余計なことは言うまい。テイワズは薄く笑う。「もし他にも気になった本があったら言ってよ。話ができると嬉しいんだ」「ありがとうございます」 言葉はそれだけに留めた。社交辞令だろうし、社交の付き合いは今は控えたい気分だ。 淑女
(そうして人々は自然の力の下に繁栄した。日々の糧を喜びとし日常を営んだ……) 本を閉じて、ふう、とテイワズは息を吐く。 あれからフォルティに教えてもらい、本をスラスラ読むことができた。 頻出するその言葉に、フォルティが首を傾げていた。「火、水、大地……それぞれの魔術の要素、力のことをまとめて自然の力と読んでるんでしょうか?」 自然の力。すべてを統べる力。「自然の力ですべてを治め……って、ことはまさか、三大要素をすべて持っているっていうことですかね……?」 ううむ、と唸ったフォルティはテイワズよりも深く思案しているようだった。「自然の力を持つ王が統治する世は太平な世として栄えていった……と、ふーむ」 こっちの方がわかりやすいですね、とフォルティが叩いたのは赤髪の男性に勧められた方の本だった。「しかし、なんで建国にまつわる古代の話や魔術の創生の本なんて読んでるんです?」「ちょ、ちょっと興味があって……」「ふうん。そうなんですか」 テイワズの言葉に、フォルティは引っかかった様子もなく頷いた。「あの一緒に観に行った劇もそうでしたが、やっぱりこういった不作の年はみんな明るい夢のある話が読みたくなるんですね」 ──そう、治安のよかったこの街で、しばしば物盗りが起こるようになったのはひとえに不作のせいだった。 天候不順による不作。人々はそれを王のせいにした。 領主が魔術を使うことにより、大雨時にも災害を防ぎ、害虫の発生も延焼させ対策し、地崩れも塞ぐことができるが──全ての作物を守れるには至らない。 日照りや豪雨は防げない。 大地の力は枯れた草木を甦らせるには至らない。 周りに天才と呼ばれ魔術の能力の高いルフトクスの大地の力でさえ、花一輪咲かせるのが精一杯。本来草木の成長までは操ることができない。 同じ大地の魔術を使うエイルでさえ、それをできない。とはいえエイルは地を揺らし割ることができ──破壊力という面では兄弟一番であった。「一人で複数の魔術要素を持つとか、第四の元素があったとか……」 フォルティは読んだ本を撫で、観た劇を思い出し、テイワズに呟いた。「人は夢を見るのが好きですね」 フォルティとの会話はそれで終わり、戻ってきた兄たちと食事をして寝支度を整え、そして寝室で一人で過ごす今に至る。 そうだ、夢みたいなできごとだった。目
フォルティと足を運んだ劇場がある広場の周辺に目的の場所もある。歩いて遠いわけではないが、出かけるならくれぐれも馬車に乗らせるようにと御者は言われていたらしい。──ヘルフィに。 馬車が止まって、開かれた扉に礼を言いながら降りた。「では、こちらで待っておりますので」 御者に会釈をして、テイワズは長い階段の先にあるその建物に入る。 ムスペル国立図書館。 この国一番の蔵書量を誇る図書館だ。 目的は魔術の要素、魔力について──自身に起きた出来事について。 図書館に入り魔術の本が置いてある一画へ進む。 魔力がある者は貴族ばかりで、貴族は魔術の学校に通うことになっているので、わざわざ魔術の本を探しに図書館に来るものは少ない。 知は財産とされており、貴族の多くは資産でありコレクションとしても多くの本を所有しているから、そうそう足を運びに来る必要もない。 庶民の姿は多く、女性も多い。館内は立場や権力と画された世界。広く開けられた間口の中は知識への探究。(……探すべきは、魔術の種類? 学術書?) 自分の背丈以上の本棚を見ながら、どの本を開くべきか思案する。 いつか自分は嫁ぐ。嫁ぐ相手は家のことを考えると、確実に貴族だろう。ならば魔術を使えるだろう。そう思って、魔術が使えないテイワズなりに勉強はしていた。 しかしそれは学舎で得られるほどのものではない。本をなぞっただけ。表面上の会話がなぞれるだけ。 火、水、大地の魔術。三つの魔力。有用な使い方やその魔術の行使により起きた出来事などはあった。 魔術は古くからあったもので、それ故に当たり前に生活に密着していた。それ故か魔術の歴史という文献は少ない。あっても、貴族に魔術師が多い理由、なんて程度の項目だ。(探してるのはそういうものじゃない) 例えば。 そう──例えば。(フォルティお兄様と観た劇のように) 第四の魔術要素なんて。 そんな言葉が書かれた学術書や歴史書を探してみるが、そんなお伽話の記載はない。 そうお伽話だと思っていた。昨日までは。
公の場での婚約破棄。 それは顔に泥を塗る行為で、顔を上げられなくなるなどの屈辱だ。 あの場でテイワズがダグ・ブランドスに言われた言葉は、社交界でのテイワズの看板に泥を塗った行為だ。 きっと以後、テイワズに婚約を持ちかける話は来ない。 来たとしてそれは、ブランドス家の豊かな経済状況計算と兄たちの魔術能力を求めるという打算でなければ、よほどの物好きぐらいだ。 女性として磨くための手習を。 貴族として繋がるためのサロンを。 今まで行っていた社交界に繋がるその場所に、もうテイワズは行けない。 もとより女性のそれはすべてより良い婚姻のためで。それは今となっては──。 (来ないでと言われたわけではないけれど) 楽器の演奏だったり、刺繍の手習だったり。詩を学ぶサロンだったり。(言っても、指を指されるだけだ) 貴族のコミュニティは広い。 それでも、せめて内密に婚約破棄を伝えてくれれば話は違った。周囲に聞かれても、ああ家の事情で、なんて濁して流せばいい。 それをしなかったダグは、よほど新しい婚姻を自慢したかったのだろう。なんてったってお姫様だ。 よほど今までの婚約が不服だったのだろう。魔術要素なしの貴族の娘との婚約が。 テイワズは部屋のベッドの中で思い返す。(お姫様の方から、って言ってた) だからきっと、しょうがない。オスカリウス家も豊かな侯爵家だが、あまりにも立場が違う。 明日からどうやって過ごそう。(……なんて) 途方に暮れることは──ない。(調べなきゃいけない。私は私のことを) 一人で行動できることはむしろ都合が良かった。 ここ数日立場的にも一人になったテイワズを構っていた兄たちは、明日からは皆通常通り仕事や学校に行くようだ。「紳士協定を結びました! ティーから声をかけられない限り誘わない連れ出さない!」 と暴露したのはフォルティだ。「こぉら、秘密だって言ったでしょー」「誰のせいでそうなったと思うんですか」 フォルティに口を尖らせたルフトクスを、ロタが眼鏡の奥の瞳で睨んだ。ルフトクスがヘルフィに視線を送る。「兄さん激おこだったもんねー」「……テメェらが盛るからだろ。ばーっか」 相変わらず口が悪い。その口調で、リーダーシップで、テイワズが家を出てる間に話し決めたのだろう。「ま、だから安心してねぇ? 今度は許可
「ティー! お帰りなさい!」 馬車が止まるとすぐに、家の中から駆け出してきたのはフォルティだった。「心配しましたよ!」 紫の髪をなびかせて走り寄ると、馬車から降りたばかりのテイワズの両手を取った。 赤い目はヘルフィと同じ色なのに、形が違う。 優しげに弧を描いた赤い目。 フォルティに掴まれたテイワズの手の上に、骨ばった細い指の手が触れた。「ほら、離しなさい。ティーが驚いていますよ」 ロタだった。二人の手に重なるように自分の手を置いた。黒髪が日差しに青く透ける。 そしてその後ろから、少しのんびりとした口調がかけられた。ルフトクスだ。「そうだよー、フォルったらー」「兄様のせいでしょう!」 振り返ってフォルティの手が離された。 一拍遅れて、一秒。青い目に笑みを残してロタも手を離した。 後ろから現れた茶髪が柔らかく揺れて、金色の目が細められる。「待ってたよ、ティー」「ルフお兄様」 呼べばまるで許されたように歩み寄ってきた。 余計な言葉はお互いなかった。「ただいま」「おかえり」 心地の良い風だった。陽の光は温かく、四人の兄は一様に微笑んでいた。「さ、紅茶を淹れましょうか」 ロタの言葉に頷いて、家に入った。 たった二晩。されど長い夜をいくつも越えて、旅を終えたような感慨があった。 ロタが先頭を歩いて、ルフトクスとフォルティが並んで歩く。その後ろをティーはついていき、一番最後にヘルフィが歩いている。 靴音がいくつも響いて、いつも食事をする部屋に入った。 兄たちは椅子にテイワズを座らせると、まるでもてなすようにキッチンに立った。 一人座るテイワズの隣に、ヘルフィが音を立てて座った。「なんで兄さんまで座るわけー?」「うるせぇ」 まあいいけど、とルフトクスが言って、そんなルフトクスに向かって、紅茶を取ってくださいとフォルティが言った。「お待たせしました」 青と赤の目の前で、ロタが紅茶を注いでくれる。 やはり蒸らし時間は少し少ない。茶葉と一緒に入られたシナモンの味わいは少なかったけれど、砂糖をたっぷりと入れたヘルフィには関係なさそうだった。
* 体が大きく揺れた気がして、テイワズは目を開けた。「起きたかよ」「お兄様」「おう」 声は真横からだった。身を預けるようにヘルフィに寄りかかっていたようだった。自分の頭がヘルフィの肩に乗っていたことを理解して、慌ててテイワズは身の回りを見渡す。 馬車の中にいた。倒れた自分を運び乗せてくれたのだろう。この行き先は、家以外にないだろう。「……魔術はそれなりに負担がかかる。何年か経ちゃ慣れるが、反動の大きさは……そりゃ……まあ、個人差だが」 突然話出されて、何を言ってるのかわからなかった。それが自分のための説明だと理解するのに数秒かかった。「魔力が強いほど反動も大きいってのが一般的だな。まあフォルは例外だが。あいつは魔力も大けりゃ天才でなんも反動がねぇ。俺様やロタ……ルフなんかはやっぱそれなりに疲労がでるよ」 知らなかった。 知識としては知っていたが、体を覆う重さまではやはり知らなかった、と思う。寝たことで幾分かは楽になったが、まだ重たさの残る体に、ヘルフィの話を実感する。「エイルは知らん。アイツ魔術使った後はその姿を見せたくねぇのか隠れがちだったしな。そもそも学校もサボりがちで使うことも少なかっただろうし」 関係ないと思っていた魔術の話が、今自分の身に降りかかっている。 望んでいた。魔力があることを。貴族の子供として。しかしその要素が──未知のものだとは。思いもよらなかった。それはあまりにも望外。 魔力は血。魔力あるものは自然と、子供が歌を覚えるように、年齢が片手ほどを過ぎると魔術が使えるようになる。 自分は?(発火や水、大地を操るなんて、できなかった。だから魔力がないと思っていた。けれど)「……けどテメェのチカラがどんなもんかはわからねぇ」 ヘルフィの言葉を聞きながらテイワズは考える。(もしかして、知らないだけで魔術を使ってた……? だって、風は目に見えない。それじゃ、気づかない) もしかして。テイワズは思い至る。(今までも、魔力があって魔術を使っていたのを気付かなかっただけ……?) 考えながら続くヘルフィの言葉を聞く。 それでも、とヘルフィは続けた。「隠した方がいいだろう」 魔力があると言えば婚約破棄もなかったのだろうか、と一瞬頭によぎった。 すぐにその考えを振り払う。今更だ。「倒れるほどの魔力だ。そう